食べたものを吐き出すという行動を理解できない人もいらっしゃるかと思います。
けれど、その行為が必要な方々もいます。
「ダイエットした方がきれいにみえる」
「好きな洋服を着られる」
「周囲の人の評価が好意的になる」
理由はそれぞれの方により様々で、最初は吐く気などはなかったのかと思います。
けれど、我慢は反動を呼びます。
我慢に我慢を重ねて、結果、空腹に耐えかねて、沢山食べるとします。
今度はその満腹感にひどい自己嫌悪に陥り、吐き出したくなる。
一度吐き出すと、「あ、吐き出せばいいんだ」とリセットされる気分になると、その行動は習慣化します。
「いくら食べたって、吐き出せばいいんだ」
おなかいっぱいにたまったものを吐き出して、すっきりとする感覚は、心にもつながり、心もどこかすっきりすることがあります。
体の感覚と心の感覚はつながっていて、「身体が温まる中で、心も温まり、リラックスする」「頭を冷やすは、心を冷静にする」「気分が悪くなると、吐き気がする」「嫌な体験がいつまでも心に残ることは、消化不良のように腹痛がする」「話してはいけないと感じていることを語る時は、知らず声がかすれる」
食べ物をのど元いっぱいにつめこみ、不快な気持ちになり、それを吐き出す時、胸のうちの不快な思いも吐き出されているのかもしれません。
けれど、不快な気持ちを吐き出す行為は、歯のエナメルを溶かし、食道の炎症を招く可能性があります。
やはり、一度胸の内に湧いた嫌な思いも吐き出し、なかったことにするのではなく、消化することがいずれ出来るようになると良いのではないでしょうか。
摂食障害の方々にはそれは簡単なことではとてもないでしょうが、嫌な思いも胸の内に抱き続け、その不快感に耐えていくことは、生きづらさに耐えることにつながっていくかと思われます。
そうしていく中で、胸のうちがいっぱいになるまで食べることがなくなり、不快な気持ちや自己嫌悪に全身が満たされることも次第に少なくなっていくでしょう。
「過剰に摂取せずにいられず、日常生活に支障をきたすようになる」という点では、依存症の一種として理解できるかと思われます。
ネット依存、アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存、買い物依存・・・
つくづく人は何かに頼らずにはいられない存在であることを感じます。
依存症とは、「個人の弱さ」ではなく、「自分の生きづらさとうまく付合う方法が見つかっていない状態」であり、「現時点でのその人なりの生きていく上での対処法や工夫」なのではないかと思います。
不快な気持ちを実際に「吐く」という行為ではなく、カウンセリングの場でその気持ちをどうぞ教えてください。
これまで吐き出さざる得なかった気持ち達を汚いものとして葬るのではなく、きちんと悲しみ、胸のうちにしまってあげてください。
貴方の大事な気持ちの一つなのですから。