トラウマケア

「人によって傷つけられた時、人を信じられるようになることはとても難しいように思う。だからこそ、他者の存在が必要なんじゃないか。」

そういう思いをいつしか抱くようになり、被害者支援を中心にやっている大学院に入学しました。

「トラウマ体験」とは私が考えていたよりもはるかに壮絶な体験であり、私は間もなく言葉をなくしました。

「私は相談員なのに、かける言葉がみつからない。」

そういう思いを、無力感を抱きながら、ただただじっと相談者の方のお話を聞いていました。
相手の方の傷つきを理解できていない自分を、面接を重ねるほどに痛感するばかりでした。
私がすることといったら、相談者の方の見えている世界が少しでも見えるようになるため、相手の方に質問をすることでした。
そして、時折、私の理解していることがずれていないか、相手の方に確認していきました。

そういった面接を重ねることで相手の方に私の理解を否定されることが次第に少なくなっていったように感じた覚えがあります。
二人の間で大きくあったであろうズレが本当にわずかですが、少し縮まったように感じていました。

決して同じ世界をみることは叶わない中で、起きたことはなかったことにならない中で、対話と沈黙を重ねていきました。

あの面接の日々で私が目指したことは

「話を聞き続けること」「あきらめないこと」

だったと思います。

傷つきと共に生きていくこと、苦しみを生き抜くこと明確なスキルやプログラムをもって短期間で終えることは私にはできませんでしたが、相手の方の苦しみと共にあることを心がけました。

非情な体験に遭われた方の誰にも理解されない苦しさに耳を傾けつづけました。
深い絶望の中にいた方から、相談の中で「おきたことはなかったことにならない。なかったことになることを私は求めていたのかもしれない。」「自分にはどうにもならないことがおきるけれど、それでも生きていこうと思う。」といった言葉を聞く時、私は深い尊敬の念を相手の方に抱くばかりでした。

時を経て、私のやっていることが大きく変わったかというと、それほど変わっていないかもしれません。

私にできることはやはり相手の方の話をどこまでも聴き続けることだと今も思っています。