一日部屋にとじこもり、同じ空間、物に囲まれ、外界に全てから自分を遠ざけようとする。誰とも極力接することなく、ただただ時間が過ぎていく。誰の声も届かず、また、自分の声も誰にも届かない。それが24時間、1か月、1年、10年・・・
考えているだけでも息苦しくなります。ご本人は安心なようで、常に恐ろしい想像に駆られているのではないでしょうか。そもそも「ひきこもる」ということは、外界に対して良い思いを抱けていたら、そうならないのだから。
「もう傷つきたくない」「人にどう思われるのか」「ここにいれば安心だ」「誰も自分のことはわかってくれない」「自分は外の世界ではやっていけない」
心の奥底にいろんな思いを抱きながら、それを誰にも訴えることなく、ひとり苦しんでいることを思うと、想像するだけでもこちらも苦しくなります。
一緒に生活するご家族も、尚のこと気が気でないでしょう。
大学病院でネット依存の当事者たちや家族と接する中で、他の依存症と若干異なる「ひきこもり」という現象と「ネット依存」の近さを感じます。
彼ら・彼女らは、不安を感じてるようでも、自分に言い聞かせるように「大丈夫。問題ない。」と、医療者や支援者に話します。危険な外界にひっぱりだされないように。苦しい現実をつきつけられないように。
自分の身を守るために、全力であらゆる支援の手が部屋の隙間から入らないようにしているように感じます。
拒否の力が強いほどに、彼ら・彼女らは恐ろしいのだと思われます。
まず、そのことをちゃんと、出来るだけ的確に支援者は理解する必要があると思います。
何が恐ろしいのか、どのように恐ろしいのか、どれほどの傷を負うと感じているのか、自分には何の手立てもないと感じているのか、様々なことを彼ら・彼女らの恐れを理解するために、丁寧に聴く必要があると思います。
その理解される体験そのものが、周囲への信頼につながる一因になるのではないかと私は考えています。「理解しようとしてくれる人がいる。」「外界に、現実に、助けてくれる人、サポートしてくれる人がいる。」と感じることが出来たら、外の世界に一歩踏みだす勇気が少しでも得られるのではないでしょうか。
インターネットの便利さの中、インターネットでの交流、「仮想空間」での交流が「普通」になってきている現在、様々な「現実世界での孤独」が見過ごされやすくなってきているように感じます。
このパソコンの向こう側にも、多くの孤独な人々がいるのかもしれません。
確かに生きていくことは決して容易くなく、上手くいくことよりも思い通りにならないことのほうが余程多いでしょう。けれど、諦めてしまうのはもったいない。もし、孤独などなたかが、もしくは孤独な方のご家族がこの文章を見ていただくことがあったのなら、それはきっとまだ生きることを、支えることを諦めていない証拠だと思います。
「今よりもまし」
「今よりもまし」な一歩を重ねていくことで、気づいたら「前よりは大分まし」、そして、いづれ「少しは生きやすくなった」になっていくと私は信じています
ひとりで抱え込んだり、解決しようとすることは誰にとっても、苦しいことであり、非常に困難なことです。
どうか、ご家族、もしくは信頼できる誰かに勇気を出して、声に、文章にしてみてください。
「ちょっときいてほしい」と。