家族会 ーグループの力ー

ネット依存のご家族にお集まりいただき、家族支援プログラムを行ううちに、「グループの力」というものを強く感じるようになりました。
それは、私一人では決して成しえないものであり、自然とそのグループの中から湧いてくる「それぞれがもつ力を引き出す」ものでした。

「他のご家族がどうされているのかを知りたいです。」「皆さんはこのような体験はありましたか。」
私が促したわけではない中で、自然と参加者の方が自発的に他の方の意見を聞きたいと声を上げます。
そして、アンケートをとると、いつの時でも、参加者のどなたかが「他のご家族の体験がとても参考になった」「色んなご家族があることを知り、勉強になった」「我が家だけに起きていることではないと感じた」など、必ず記入されています。

これらの参加者の方の動きや感想は、私一人でご相談にのっていたら、生じなかったものです。

私はグループの中で、多くのご家族の中で、ただ見守り、皆さんの「心の安全」にだけ配慮してそこに座っているだけでも、このような現象が起きることにとても感動を覚えます。

最初は静かでどこか重たい空気で始まっても、次第に緊張が和らぎ、皆さんの笑顔が時として見られるようになっていきます。
この移り変わりの中にいる時、私は「グループは生きている」と感じます。

毎回参加者の方が違う中で、「今日のグループはどのようになるだろう」と考えます。
「どうか、今日のグループが最後は参加者の方の生き生きとした表情の中で終われますように」と祈る気持ちで開始します。
そんな私の想像や願いをはるかにこえて、皆さんは様々な動きや表情を見せてくれます。
私が願うようなことではなく、私が下手に手出しをしなければ、自然とグループは息づいていくのです。

それぞれ違う家族が、同じようで違う悩みについて、皆で考える。
このことがどれほどご家族の方々を支えるかは、その場にいないとわからないことでした。

そういったグループが少しでも生まれ、それぞれのご家族が孤独に埋没しないように、私は私のできることをしていきたいと思います。

家族療法

家族というのは不思議なものだと、臨床現場にいて改めて思います。

お互いをかけがえのない存在と感じていたり、他の誰に対してよりもそのままの自分を見せられたりする中で、距離が近いが故に傷つけあってしまうことがある。
お互いを分かりあっているようで、分かり合えていない。
気が付けば、どんな他人に対してよりも、胸の内を明かせなくなっている。

こういったご家族を臨床現場では、よくお見かけすることがあります。

家族の風通しが悪くなっていて、腹の探り合いになってしまっていて、家の中は沈黙で会話は地雷を踏む思いで交わされているのです。
「本当はこんな風に話したいわけじゃない」と個々にお話しをうかがえば、よくご家族はそれぞれおっしゃいます。

家族療法で、家族のメンバーが面接の場にそろえば、限りなく家庭に近い状況が再演されます。
しかし、そこにはカウンセラーがいることで、皆さんは若干冷静さも保たれます。
また、カウンセラーが通訳のように各自の言い分をまとめることで、次第に家族の風通しが良くなっていきます。

それは何年も空けていなかった窓が開いたように、新しい風が吹き込んでくるような様子を次第に見せていきます。
もちろん、長年の家族の習慣から、時折窓は再度閉じてしまいます。
その都度、窓が閉まっていることに気づき、なぜ窓は閉まってしまったのか、どのようにしたら調度良いのか、家の中の風通しを良くするために家族各自ができることを考えることがとても大切です。

ずっと一緒にいた家族が家族療法の中で、家族のある一側面を初めて知ることがあります。

「ずっと一緒にいたけれど、知らなかった」

ずっと一緒にいて、大切だからこそ見せられない一面があります。
でも、そのことが家族間で溝を生み出してしまうことがあります。

家族療法により、家族の橋渡しをし、お互いを思う気持ちに各自が出会えたらと思って、私は家族の皆さんとお話ししてています。