自傷

人はなぜ自分自身を傷つける行為をするのでしょうか。 

もしかしたら、自分を傷つけたり、血を流す行為は、理解されがたい行為かもしれません。「わざわざ、自分を傷つけて痛い思いをするなんて・・・」と。

私の中での「自傷行為」とは、自分を傷つけ、損ない、痛めつける全ての行為を意味します。リストカット、アームカット、瀉血、拒食、過食嘔吐、首絞め、数え上げれば切りがありません。また、ある人にとっては異性との性的行為が他者とのコミュニケーションとして大切なものである一方で、ある人にとっては自分を貶める行為だったりします。

つまり、その人の中でどのような体験、意味づけになっているかによると思います。

どんな場面で、どんな時に、何を思って自傷行為をしたのか。自傷行為の最中や、自傷行為をした後にどのような気持ちになるのか。どんな必要があったのか。

人はどんな行為も多かれ少なかれ、必要があってするものと思います。やむにやまれぬ思いの中で、自傷行為に及んでいるのだとしたら、どれほど苦しいことでしょう。

自分を傷つけずに生きていけるのなら、そうなりたいと考えている人も、自傷行為が日常化している方の中にはいらっしゃるのではないでしょうか。

無数の傷跡ややせ細った身体などを見ていると、その人の心の中で止まぬ悲鳴が聞こえてくるようです。

自傷行為の奥に、その人の本当の苦しみがあると想像して、お話しをうかがいます。自分を傷つける前に、その苦しみを言葉か、他の何かに変えていただきたいと思います。そうして、苦しみを言葉などにこめていく中で、いつか自傷行為は必要なくなる日がくるのではないでしょうか。自傷に駆り立てる、心の奥底の苦しみを解消する手段は一つではないのですから。

摂食障害

食べたものを吐き出すという行動を理解できない人もいらっしゃるかと思います。
けれど、その行為が必要な方々もいます。

「ダイエットした方がきれいにみえる」
「好きな洋服を着られる」
「周囲の人の評価が好意的になる」

理由はそれぞれの方により様々で、最初は吐く気などはなかったのかと思います。
けれど、我慢は反動を呼びます。
我慢に我慢を重ねて、結果、空腹に耐えかねて、沢山食べるとします。
今度はその満腹感にひどい自己嫌悪に陥り、吐き出したくなる。
一度吐き出すと、「あ、吐き出せばいいんだ」とリセットされる気分になると、その行動は習慣化します。


「いくら食べたって、吐き出せばいいんだ」

おなかいっぱいにたまったものを吐き出して、すっきりとする感覚は、心にもつながり、心もどこかすっきりすることがあります。
体の感覚と心の感覚はつながっていて、「身体が温まる中で、心も温まり、リラックスする」「頭を冷やすは、心を冷静にする」「気分が悪くなると、吐き気がする」「嫌な体験がいつまでも心に残ることは、消化不良のように腹痛がする」「話してはいけないと感じていることを語る時は、知らず声がかすれる」

食べ物をのど元いっぱいにつめこみ、不快な気持ちになり、それを吐き出す時、胸のうちの不快な思いも吐き出されているのかもしれません。

けれど、不快な気持ちを吐き出す行為は、歯のエナメルを溶かし、食道の炎症を招く可能性があります。
やはり、一度胸の内に湧いた嫌な思いも吐き出し、なかったことにするのではなく、消化することがいずれ出来るようになると良いのではないでしょうか。

摂食障害の方々にはそれは簡単なことではとてもないでしょうが、嫌な思いも胸の内に抱き続け、その不快感に耐えていくことは、生きづらさに耐えることにつながっていくかと思われます。
そうしていく中で、胸のうちがいっぱいになるまで食べることがなくなり、不快な気持ちや自己嫌悪に全身が満たされることも次第に少なくなっていくでしょう。

「過剰に摂取せずにいられず、日常生活に支障をきたすようになる」という点では、依存症の一種として理解できるかと思われます。
ネット依存、アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存、買い物依存・・・
つくづく人は何かに頼らずにはいられない存在であることを感じます。
依存症とは、「個人の弱さ」ではなく、「自分の生きづらさとうまく付合う方法が見つかっていない状態」であり、「現時点でのその人なりの生きていく上での対処法や工夫」なのではないかと思います。

不快な気持ちを実際に「吐く」という行為ではなく、カウンセリングの場でその気持ちをどうぞ教えてください。
これまで吐き出さざる得なかった気持ち達を汚いものとして葬るのではなく、きちんと悲しみ、胸のうちにしまってあげてください。
貴方の大事な気持ちの一つなのですから。