思春期・青年期の悩み|言葉にならない心に寄り添う

例えば「一日中、ネットやゲームをしている」と聞くと、それは「一日遊んでいる」ように聞こえてしまうかもしれません。
けれど、私が病院でいろんなネット依存の思春期・青年期の子たちと話していくと、皆、苦しんでいたり、悩んでいます。
それはひどくわかりづらく、一見すると心の中と相反する態度に見えます。
話しを聞いていくと、どちらかというと真面目だったり、思いつめやすかったり、ひどく繊細だったり、悲しみに満ちていたり・・・

人が素直に自分の思い、悩みを言えたら、人との関係でどれほどの問題が解決するかわかりません。
けれど、社会ではストレートに言わないことが礼儀であったり、学生でも周囲と同じであることが同年齢の集団の中でうまくやっていく方法だったりします。

自分の気持ちに気づきにくいほうが生きやすい場面もあるでしょう。
現実が自分の望む世界ではない時には、より一層、自分を麻痺させてしまう方法が生き抜くには必要になってくるかもしれません。
青年期を過ぎて今や中年期である私は、人にはそういう側面があると思います。
思春期・青年期の子たちはいわんやでしょう。
彼・彼女らには、自分の気持ちを楽にするため自由になるお金も時間も、社会を生き抜く知恵もスキルも多くはもたないはずです。沈黙するしかない場面がどれほどあるでしょう。

思春期や青年期、10代や20代の子たちは、親御さんに自分の悩みを伝えることに抵抗がある方が結構います。
それがどれほど自分では抱えきれない悩み、痛みであっても、「親はどうせわかってくれない」「親が聞いたら心配するから言いたくない」「怒られるに決まっているから、言わない」など、親御さんにだけは言わないでほしいという声はよく相談の現場では聞きます。

そこにどんな心理があるのでしょう。
親御さんへの反発心や腹立ち、煩わせることを遠慮する気持ち、心配させたくないという思いやり、理解されないであろうというあきらめ、理解してもらえなかったという失望・・・

いづれも聞いてみないとわからないことですが、一方で思春期・青年期の子たちの悩みはあまり言葉にされないという現状があります。
言葉にして伝えようとしたことが少ないのかもしれません。
自分の考えや思いがうまく言葉にならないのかもしれません。
自分の思いをあまりたずねられたことがないのかもしれません。

思春期・青年期の子たちの気持ちを知りたくなった時には、まず尋ねてみてください。
そして、どれほど沈黙があっても、辛抱強く待ってみてください。
彼・彼女らが必要な時間を与えてください。
いづれ、わずかでも彼・彼女らは少しかもしれませんが、その悩みや気持ちの正体を教えてくれるかもしれません。
きっと、辛抱強く待つに値する心の声を聴かせてくれることでしょう。
その場を去ったら、その瞬間にその時の声を聴くことはかなわいのです。

カウンセリングについて|対話から始まる回復のプロセス

人と人が対話する。

カウンセリングという対話により、これほど胸がふるえるような瞬間があるのかという思いを時に胸に抱くことがあります。

もちろん、カウンセリングのプロセルで生じることは良いことばかりではありません。苦しさから逃れられないもどかしさ、世の中の不条理、人に傷つけられる痛み、思ったように生きられない辛さ、底知れない怒り、心を引き裂く悲しみ、様々な思いをできるだけクライエントと共にするべく、私は対話を重ねていきます。

クライエントが立ち直れず、膝をつきそうになる時に、その腕をつかむ思いで、そばでひたすら耳を傾けます。

ひたすら生きづらい日々を生き残る。
いつかクライエントが自分の足で歩きだすことが以前よりも容易になるよう、それまで一緒の道中をご一緒させていただければと思っています。

「カウンセリングとは、人を理解するプロセスそのものだ」という言葉を学びました。

私はカウンセリングで人との対話を重ねてきて、今まさにそう思います。
同じ人間になれなくても、同じ世界をみることはできなくても、その人の感じていることを少しは理解できるようになると感じています。

その理解こそが将来クライエントの望む人生へのヒントになります。

クライエントと対話している時に、私は「生」を強く実感します。
カウンセリングの中で、クライエントが自分自身と出会い、自分を取り戻し、生きることを選択する時に、人が徐々に息を吹き返す様を目の当たりにするような体験をします。

私は一生カウンセリングを続けていくことでしょう。