自傷

人はなぜ自分自身を傷つける行為をするのでしょうか。 

もしかしたら、自分を傷つけたり、血を流す行為は、理解されがたい行為かもしれません。「わざわざ、自分を傷つけて痛い思いをするなんて・・・」と。

私の中での「自傷行為」とは、自分を傷つけ、損ない、痛めつける全ての行為を意味します。リストカット、アームカット、瀉血、拒食、過食嘔吐、首絞め、数え上げれば切りがありません。また、ある人にとっては異性との性的行為が他者とのコミュニケーションとして大切なものである一方で、ある人にとっては自分を貶める行為だったりします。

つまり、その人の中でどのような体験、意味づけになっているかによると思います。

どんな場面で、どんな時に、何を思って自傷行為をしたのか。自傷行為の最中や、自傷行為をした後にどのような気持ちになるのか。どんな必要があったのか。

人はどんな行為も多かれ少なかれ、必要があってするものと思います。やむにやまれぬ思いの中で、自傷行為に及んでいるのだとしたら、どれほど苦しいことでしょう。

自分を傷つけずに生きていけるのなら、そうなりたいと考えている人も、自傷行為が日常化している方の中にはいらっしゃるのではないでしょうか。

無数の傷跡ややせ細った身体などを見ていると、その人の心の中で止まぬ悲鳴が聞こえてくるようです。

自傷行為の奥に、その人の本当の苦しみがあると想像して、お話しをうかがいます。自分を傷つける前に、その苦しみを言葉か、他の何かに変えていただきたいと思います。そうして、苦しみを言葉などにこめていく中で、いつか自傷行為は必要なくなる日がくるのではないでしょうか。自傷に駆り立てる、心の奥底の苦しみを解消する手段は一つではないのですから。

学生相談

最初に学生相談に身をおいた時には学生たちがとてもまぶしく見えたことが記憶にあります。

学生達の相談にのっていく中で、彼・彼女らは自分ではまだ生計が立てられない中で、
わずかな自由の中でもがき苦しんでいることがわかってきました。

「クラスの人となじめない」「進級の問題」「就職活動について」「家族の問題」「自分の性格について」・・・

彼・彼女らの問題は山積しており、日々気持ちが揺れ動く中で対処し難い様子が切々と伝わってきました。

「昨日、死のうとして・・・」と語ってくれる学生もいました。

初対面の人に自分の思いつめた苦しい気持ちを語ることは容易なことではなかったと思います。

人生の折り返し地点にいる私でも生きることは決して容易くありません。
けれど、20歳前後の学生さん達に比べたら、少しはやり過ごす術もあると思います。

やり過ごす術をまだ持たない、ストレスに対処するにはお金や時間の自由のない彼・彼女らの世界でできること、対処法を一緒に一生懸命考えました。

私には想像つかないような現代でのコミュニケーションの在り方、大学からの評価の変容、「自分は何者なのか」という問い・・・

私も答えを出さず、出さないままにやり過ごしてきた問題に彼らと共に向き合う場面が多々ありました。
彼らの毎日は一つ一つの出来事の刺激が強く感じられるようで、また、一日の長さも私が感じるよりも長く感じているようでした。

同じ時間を生きながら、全く世代の違う二人で懸命に問題に向き合う作業はやりがいのあるものでした。

いつかまた、学生と向き合って、生きることについて、自分について、まっすぐに正面から向き合う作業ができたらと思います。
そして、卒業していく学生のどこか晴れやかな姿を見届ける日が再度来たらいいなと思っています。