「生きることは喪失の連続です」
私が受けた研修で、ある先生からうかがった言葉です。
その時に私はひどく納得したような気持ちになったことを覚えています。
「生まれた瞬間から、失い続けている」
それが当然であり、恐れるようなことではないと教えていただいたように感じました。
もちろん、何か失えば悲しいし、やりきれない気持ちになったり、恐怖することもあります。必要以上に傷つくことも、恐れることも体験したくはありません。
私は失うことを恐れ続ける強さもなく、失うことを避けようとする執念もない、ただ諦めの早い臆病者なのかもしれません。そういう自分を正当化してくれる言葉として、都合よく自分の中におさめているのかもしれません。
一方で「すべての生物が死に向かい続けている」ことは事実です。
最後には全て無くなる。
それは嘆かわしいことかもしれないけれど、避けようもない現実でもあります。
喪失や死は予期せぬ時におとずれて、私たちを打ちのめします。
私たちが生きていく中で何かを失うこと、大切な人を亡くすことはどれほど心の準備をしてたとしても、私たちをひどく傷つけます。
「もう、生きていても意味がないかもしれない」「大切な人を亡くして、この先をどう生きていけというのか」「何か自分にできたことがあったのではないか」
起きていても、夢の中にあっても、始終様々な思いが自分の中に絶えず沸き起こり、息もできぬような苦しみをもたらします。
「この先、どう生きていけというのか。」
「自分の生に意味はあるのか。」
途方にくれるような喪失の中にある方と共に、私はこういった問いに向き合っていきたいと思います。
どれほど考えたとしても、どれほど時間が経とうとも、答えのでることではないかもしれません。
でも、考えずにいられない思いがある中、お一人でその思いが抱えるのがしんどいのであれば、一緒に考えさせてください。
その道中をともにさせてください。
あなたがまた「生きていこう」と思う、その日まで。
